日記をつけよう。
8日。土曜日。
渋谷のカフェでひとり。
アイスティーとケーキ。
マネーボールを読む。
フィクションフリーククライシスのTシャツ。
5月と9月の冷房は、僕には冷た過ぎる。
日記の話である。
日記と言っても、明確なモティベーションがあるわけでもなく、そのためどのくらいの頻度で更新するかは今の僕にはわからない。
「日記」なのに1ヶ月更新がない期間もあるかもしれないし、ひょっとしたら事実ではないことも書くのかもしれない。そんなものだと思ってもらいたい。誰に思ってもらいたいのかも、よくわからないのだが。
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名も知らぬ他人の声が、美しいと感じた。
カフェでビジネスの話をする若者のグループを見かけると、嫌気が指して店を出る癖がある。
カフェで高い声を聞くのが嫌いなのだ。
声の高さとは人間関係において重要な要素だと思っている。
フォーマルな場では、その局面に期待される面持ちや服装、言動がある。
そう言った場では、高い声があまり不愉快ではない。
"カフェ"で"高い声"を聞くのが不満なのだ。
二人きりの会話でこそ、声の使い分けが最もよくわかるし、効果的に低い声や大きな声を使える人が好きだ。
8分間その人の声を聴いた。
数センチの距離に声の主はいたが、不思議と顔を見ようとは思わなかった。
「声」だけで、本当に「声」だけで(服装は少しだけ視界に入りはしたが)僕の心が掴まれる体験というものは、それだけで日記を書くきっかけになった。
案外理由などなんだっていいのだろうな。
日が沈みかけているハチ公前を独りで歩くのは、少しだけ惨めな気がした。
だかそれがいい。少なくとも、今は。