体調を崩す。胃腸が弱っていたようだ。
某ラジオの公開イベントを堪能する。
『国境の南、太陽の西』を読み終える。
祖母が入院すると聞いたが、精神の方は健康だろうか。
東京は、既に冬の夜を形作っていた。
12月をテンポアップして今年を終わらしたいな、と彼が言っていた。
その通りだ、と僕も思う。
もうこの世にはいない、僕の友人の話。
そいつは大学の英語のクラスで知り合った男だ。
椎名は優秀な人間だった。
特別な能力を持っていたわけではない彼が、周囲から一目置かれていたのにはいくつか訳がある。ただ、それらは残念なことに、今ここで単純に言語化できる種類のものばかりではなかった。
ただ、椎名の凄みらしきものを形成していた要素の一つに、彼の卓越した分析力の高さが挙げられると僕は思う。
彼は、今自分にそしてコミュニティにとって必要な情報を集め、それらを吟味しながら、常に最適な方法で扱うことを心得ている類の人間だった。
いかなる状況においても、彼の緻密な分析は無視できるものではなかったし、彼の周りで進行するものごとは大抵が非常に円滑だった。そのことで彼は周囲から大いに信頼を寄せられていた。
椎名は、いかなるコミュニティの中でも埋もれない。だからと言って彼は目立ちすぎるということもなかった。彼は表立ってリーダーシップを発揮するようなことはしない。いつも、適切なタイミングにおいてだけ、落ち着いた言動と行動で人々を遠回しに誘導するだけだ。
それは静かで、とても自然な営みであった。
人々はときどき、そんな彼の素性を知りたがった。
彼は人前ではそれなりに社交的な人間だったし、友人はそれなりに多いはずだった。ただ、彼がどう言ったバックグラウンドを持った人間かということは、多くの友人たちさえもほとんど知らされていないようだった。
不思議なことに、彼のその得体の知れない素性については、悪い噂のような形で大きな議論を呼ぶようなことにはならなかった。あくまで個々人が、「ときどき」、思い出したようにそれについて考えを巡らせることがあるという程度だ。
テレビ画面が映し出されるメカニズムを知らない人が、ふと思い出したように「なぜ、テレビの画面は光の集合体を適切に映し出すことができるのだろう?」と疑問に感じた時のように、それは密かな、そして5分も過ぎればすっかり忘れてしまうようなささやかな問いに過ぎない。
僕もまた、彼の素性に興味を持つ大衆の一人だった。
僕は、そんな彼の身の上話を聞き出そうと、何度か食事に誘ったことがある。
大学祭の後とか、期末試験の終わりとか、そう言った節目という節目を迎える度に僕は椎名に声をかけた。
だが、彼の反応は決まっていた。
「悪くない。悪くないが、待ってくれ。お前と個人的に会うのは、もう少し区切りのいい時にとっておこうと思ってるんだよ」
「そうかい。別に構わないけど、本当によくわからないやつだな君は」と僕は言った。
椎名にとっていったいどういう場合が、「区切りのいい時」だと言いたいのか、僕にはさっぱりわからなかった。
でもまあ、あくまでなんとなくだが、僕はその「区切り」が、そう遠くないうちに来るような気がしていた。
彼の発する言葉には、ある種の安心感というか、自分のことをないがしろにされていないという安堵を覚えさせる響きがあるのだ。
なぜ、「区切り」は来なかったのか。