ムラサキノヤカタ

徹頭徹尾ひとりごと

春眠が暁を覚えてくれない

ここ数日昼間に目覚めてばかりだったので、ふと、朝日が見たいと思った。強引に体内時計を修正しにかかる。5時に目覚めた僕は、外で降っている雨の音に気付いた。

朝日はまた明日にお預けである。

性根が引きこもりの私にとって、今日の世情は私の出不精に拍車をかけるものであった。

特に出かける理由もないのだ。

私は周囲の視線とか世間体に頼ってなんとか生きながらえているつまらない人間であるから、カフェやらファミレスやらに足を運んで初めて作業が捗るタイプである。そんな私がもう5日も家から一歩も外に出ていないのだから、いろんな作業が停滞していた。

基本的に私の日常は私が一人で時が過ぎるのを待つことで進行していくものであるから、実生活上の予定には何ら影響がなかった。

目前の問題は私自身にのみ降りかかる問題であるから、先送りにしようと思えばいくらでも先送りが可能になる。その点こそが問題だった。

 

 

私がこの作品に出会ったのは8年前だったと記憶している。中学2年生の秋か冬。親友が誤って13巻を2冊買ってしまったので、彼の家に行った時余った1冊を分けてもらったことが全ての始まりだった。

14歳、非常にややこしい時期の私は、女性キャラクターばかりで物語が進行するこの作品を手に取ることにいささか羞恥心があった。案の定読んでいることがクラス内で発覚した日以降は、私をこちら側に引き摺り込んだ親友さえ私のことをからかうほどだった。

ただ、世間体という指針が既に刻み込まれていた当時の私をもってしても、「ハヤテのごとく!」を読み進めることだけはやめられなかった。少ない小遣いを握りしめ、自転車で行ける範囲のBOOKOFFを回って、既に30巻以上出ていた単行本を少しずつ買い集めた。初めて感じる種類の胸の高鳴りを、止めることができなかった。

好き放題展開されるパロディとインターネット黎明期の空気感、世界名作劇場からのインスパイアの数々は、私にとってこの上ないサブカルチャーの教科書になった。理不尽と悲しいすれ違いが連続する、愛と流血の執事コメディー。

いろんな言葉をここで覚えたし、偉大な作品の数々を私に教えてくれた先生だ。本来足を向けて寝られないのに、今私は呑気に本棚に足を向けて寝ている。

今日こそは外出しよう。

 

「生きようとする意志は何よりも強いとどこかの流浪人も言ってたけど、なかなか…ね」