ムラサキノヤカタ

徹頭徹尾ひとりごと

演劇史Ⅱ

午前0時に帰宅し部屋着に着替えていると、さっきまで着ていたチェスター・コートからピースの香りがした。ずっと昔母に言われたことがあるのだが、どうやら僕は無自覚のうちに、周囲の環境の香りを纏って帰ってくることが多いらしい。彼女に言わせれば、12月の僕からはコンビニのおでんの香りがするそうだ。

今気付いたことだが、「匂い」という言葉を当てがうよりも「香り」としたほうが、どこか人の優しさに満ちた感じがして素敵だ。僕は生まれつき鼻が弱く、嗅覚に優れないところがあるので、香りについての情報を美しく伝える人に対して、どうにもならない憧れがある。

僕はタバコを吸わない。禁欲以前に、一度も吸ったことがない。理由はよくわからないし、信念なんて大層な言葉を使えるほど固まった意思の下での決定を経たわけではない。何か参考になる気がして、20歳になった日の僕の日記を読んだところ、「何かにそんな風に縛られるのって好きじゃないんだよ」と偉そうに書き記していた。そうか、あの小説を読んだのも、たしか9月のことだ。そういうことなのかもしれない。

 

ピースを吸っていたのは高田だ。

その日の高田は、就職活動の一環で参加する予定だった説明会が中止になったと言って、僕を吉祥寺のヨドバシカメラに誘った。高田は家電量販店で散歩をするのが好きな男だ。冷静になって振り返ると変わった趣味だが、僕は高校1年の頃から彼とヨドバシカメラの散歩をしてきていたので、最近までこの違和感に気付かなかった。家電量販店を歩いていると、思いもよらぬ過去を自分の中に見つけることがある。そうして泉のように湧き出てくる思い出を高田と語っている時間は、結構僕にとって楽しいものであった。

 

夜はハーモニカ横丁で焼き鳥を食べた。高校の同級生である高田は、1年間の浪人生活を経て大学に通っていたので、僕ら同い年たちから様々な就職活動の情報を得ていた。とはいえ今日は相手が「先輩」として何の参考にもならない僕であったから、硬い話はやめようということにして、僕らは少年野球の話をした。僕も高田も、かつて無我夢中に白球を追いかけていた時期があったのだ。

 

どういうわけか僕と親しい距離にいる男たちは、少しの例外を除いて、押し並べて喫煙者だった。そして、その中も外も少なくない割合が浪人、留年、中退のいずれかの経験者に該当した。彼らと喫煙所で話していると、ときどき、僕がタバコを吸わず、大学をストレートで卒業しようとしているという事実を全然信じられなくなる。彼らと僕らは何も違っちゃいないのだ。僕がよく付き添った大学内の喫煙所は、4月にまた一つ姿を消す。彼らがこれからどんどん生きづらくなると思うと、他人事とは言い切れないものを感じた。

これから、「時代が変わった」だなんて老けた台詞の出番が少しずつだが増えていき、僕は皆と平等に歳をとっていくんだ。

水を、汲み続けないといけないね。