ムラサキノヤカタ

徹頭徹尾ひとりごと

そういえばまだ蝉の声を聴いていない

記憶について考えていた。30年後、きっと僕は昨日のことを思い出すだろう。いや、思い出さなければならない。もう昨日になってしまったこの1日のこと。

 

 

早朝に雨が降り、昼を過ぎた頃にもぱらぱらとした小雨がアスファルトを濡らしていた。

その日僕は深夜からぶっ続けで締切当日のレポートを2つ、ギリギリの状態で処理した。あまりにも長い夜だった。日付が変わってから仕事から帰ってきた弟と父の生活音を聞くところから始まり、朝食を食べる両親の起床を完全に無視して2時間の仮眠につくまで、何度も何度も同じ場所を堂々巡りするような夜だった。

僕はパスピエの「(dis)communication」をリピート再生しながら、目の前の要件事実論と2015年司法試験の行政法を同時に進めた。2015年。何かが確実に終わった年で、同時に何かが始まった年。

世界が2周くらい回って、3度目のノアの方舟が出航していたとしても驚かないくらいの時間を感じたのち、僕は10度目くらいのアラームで仮眠から目覚めた。出発まで、残った設問を仕上げにかかる。ここまで進めてしまえば、あとは椅子に座り続けていさえすれば完了する作業だ。座り続けることができればの話だが。

その日は東京都知事選挙の前日だった。家族4人で昼食を食べた。東京の各家庭は、どんな話をして昼食の時間を過ごしていただろう。我が家での話題に限っていえば、政治的な要素は日々ほんの少しずつあがる程度であった。家族であっても目の前の対人関係においては無理をしない方がいい。

母はロッテの先発の種市より、対戦相手の楽天の先発岸のことを気にしていたので、その日のデーゲームを録画していた。夜になって母は試合のネタバレをするなと僕らに念押ししていたが、それがなんだか馬鹿馬鹿しくて笑ってしまった。種市は浅村と島内に打たれて負けた。

14時53分。なんとかどちらの課題も完成させて担当教員に送信した僕は、靴下を履く。今の僕は靴下だって一人で履くことができる。ああ、僕を取り巻く何もかもに留保がつく。帝国憲法の29条みたいだ。

 

さっきまで雨が降っていたのに、16時が近づくとピタリと雨が止んだ。それは僕らにとって純粋に喜ばしいことであった。気象にもお約束が通じる時と、そうでない時があるが、幸運なことにその日は前者だった。

人はどうやって、その目に映った人の姿と自分の中に残った記憶をつなぎ合わせているのだろう。思っていたより世界は単純にできていないし、説明できないメカニズムばかりで溢れている。つくづく不親切なものだな、と僕は思った。

僕の目を見て頷いたあの日の彼は、今夜しっかりと眠れているだろうか。僕らは寿司とバームクーヘンを食べて、その日のことを振り返りながら解散したが、なんとなくそれぞれが違うことを考えていたように思う。父が少し明るい声を出していたことを、多分僕はこれからの人生で、何度も何度も思い出すことになるのだろう。

 

…声か。

そういえばまだ蝉の声を聴いていない。

2度目の夏のある日が、今日も一つ終わった。