ムラサキノヤカタ

徹頭徹尾ひとりごと

ライ麦畑と、屋上から見た風

ちょうど4年前、なんの方向性も定まらないまま、フワフワっとした気持ちで大学の法学部に入学した。当時の僕の頭を支配していたのは、「この全く新しく自由すぎる環境を、どうやって生き抜いていこうか」という点だった。あまりにも、縛られることに慣れすぎていた。

 

https://music.apple.com/jp/album/gaia/730855071

 

僕はJanne Da ArcのGAIAというアルバムを、それこそ4月中ずっと、気が狂ったように聴いていた。

音楽を聴いて何かを思い出すことはよくあるけれど、それは得てして今現在残ってる記憶から再構成した後付けの感覚であって、言語化できない部分の繊細な感覚まで当時のまま蘇るということは稀である。

しかしながらこのGAIAというアルバムは、4年の月日が過ぎた今もなお、18歳の僕が抱いていた漠然とした不安や孤独感をそっくりそのまま脳内で再現する。不思議だ。爽やかなサウンドの陰でどこか物悲しさを感じさせるあの「feel the wind」のイントロを耳にするたび、僕は4月の市ヶ谷キャンパスに流れていた空気を鮮明に思い出すことができる。

薩埵ホールでの履修説明会で隣の席に座っていた女の子は、カバンにback numberのバッジをつけていた。互いの出身高校の話で意外にも盛り上がり、一度だけ民法の講義で見かけて声をかけて雑談をした。それっきり二度と話すことはなかったし、僕もそれでいいと思った。

必修の体育の履修説明会に参加した帰りに、ボードゲームサークルの部室を覗きに行って、いくつかのゲームに僕も参加した。そこで知り合った同級生らと飯田橋駅までの帰り道を歩いている間、今後彼らと僕の人生は一生交わることがないんだろうということに気付いてしまった。

あまりにも連続性に欠けていて、現実感のない記憶を積み重ねる毎日。心ここに在らずが常態化していたあの日々は、今後の僕の人生に一体どんな意味をもたらすのだろう。何かのきっかけになっていると良いのだが。

幾つになっても4月が苦手だ。

シャッフル

最後にしりとりをしたのがいつだったか、小一時間考えていたけど全然思い出せなかった。せっかくなので一人でしりとりをすることにした。大学の卒業式は中止になったし、しりとりでもして僕と時間を潰そう。プレイヤーも対戦相手もどちらも僕だ。

見ているのも僕一人だ。だからといって不正はしない。僕は公正が信条の男だ。そういえば二人でババ抜きをすることが好きな知人がいたな。そいつはいつもトランプを持ち歩いていて、大学1年生の4月、健康診断や履修登録ガイダンスの合間にババ抜きを僕らに持ち掛けて回っていた。その場に何人の頭数がいようとババ抜きは1対1だった。あいつは何に楽しみを見出してあんなにババ抜きをしていたんだろうな。5月になって、そいつはフランス語の講義に姿を現さなくなった。あいつのその後を知る者は一人もいなかった。先月の飲み会でそいつの話題が出たけれど、誰もそいつの名前を憶えていなかったっけ。

しりとりの話だ。

せっかくなのでタイムリーな語彙から始めたい。ちょうど今僕は大学院の事前課題を作成している。平成16年3月22日の最高裁決定についての論述だ。偶然にも日付が近い。

そこから始めよう。同じ音が出たらやめることにしようか。

 

クロロホルム

 

紫。

 

危険性。

 

井戸端会議。

 

銀河鉄道

 

打ち合わせ。

 

セロハンテープ。

 

プラスティックトゥリー。

 

林檎。

 

午後の紅茶

 

山田哲人

 

東京。

 

…「う」が出てしまった。おしまい。

最後っていつも、あっという間にやってくるんだね。

 

サイダーロードのその先で

2020年になってから買ったもの。

時系列は無視。

 

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19歳のころ、『饗宴』でお世話になった光文社古典新訳文庫。案の定積読

学部2年時に受けた倫理学の講義。毎週金曜日、90分間だけその教室に充満する「大学」の雰囲気が僕は好きだった。

狂人としか思えない早口でプラトンイデア論を語る、見るからに社会不適合者という風貌の教授。彼の話は頻繁に脱線したが、何があっても、必ず本質に戻ってくる。

 

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社会思想の講義に一度も出席せず単位を取ってしまったことを少しだけ悔いていた。

まだ読んでいないので憶測の域を出ないが、彼の指摘した「日本の思想」の構造には、改元というリセットボタンがもたらす影響も関係している気がする。

繰り返すがまだ読んでいないので、読了後撤回するかもしれない。

 

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某哲学YouTuberの動画に触発された。

第一省察の時点で熱い。デカルトという男が熱い。

いつの時代も、こんな熱い男たちが世界を三歩先まで進めるんだ。

 

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上巻の3分の2まで来た。異様な長さのセリフ、似たような名前の登場人物の数々。にもかかわらず、不思議とページを捲る手が止まらない。

ドストエフスキーを読まずして人生を終えられない。

 

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最寄り駅が隣だったことがある、とある先輩が読んでいた。

トランペット奏者という人種は、何故だか、事あるごとに僕の人生の核心に割り込んで来る。次に彼女と会う時までには、時間を作って読んでおきたい。

 

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4代目相棒。3代目からすっかり僕もデイリー派。有斐閣さん、すまん。

今年もよろしく。

 

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安心の日本評論社行政法は後回しにしがち。

法学で「西田先生」と言ったら刑法だけど、僕の大学では行政法の西田先生が有名過ぎて、話が噛合わないことが多々あったことを思い出した。

 

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 難解と言われている憲法の答案の書き方を、事例問題を交えて解き明かしてくれる。という評判の下購入して早一か月。40頁くらいは読んだ??

小山剛先生の『「憲法上の権利」の作法』とどちらを買うか迷ったが、慶應にはちょっとした因縁があるので今回は見送った。木村先生との縁に賭ける。

 

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息抜きとしての入門書。

今となっては少し薄れかけている初期衝動。

せっかく上野先生から直接教わる機会が持てそうなので、この分野と心中するのも悪くないなと思っている。

問題は特許法だ。ITリテラシーのなさに少しだけ自信を削がれたりしている。

 

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僕の内部で無造作に転がっている点と点とが、少しずつ繋がっていく感覚がある。

 

aizawa-shian.hatenablog.com

 

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ここ数年の僕が抱いていた、何でもなさそうな想いが、少しだけ輝いた気がした。

いかしたやつらがやってくる。

 

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何でもなさそうな想いその2。

 

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その3。

1997年の、12月。

 

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すっかりサブスクユーザーになってしまったが、相も変わらずCDを買うのは楽しい。

現時点では決行するかわからないけど、ライブが楽しみだ。

この作品単体で一つの記事ができる、予定。

すごいやばいやつが襲来する。

 

 

 

 

 

 

 

 

締め方がよくわからなくなった。

おやすみ。

youtu.be

 

 

 

 

 

演劇史Ⅱ

午前0時に帰宅し部屋着に着替えていると、さっきまで着ていたチェスター・コートからピースの香りがした。ずっと昔母に言われたことがあるのだが、どうやら僕は無自覚のうちに、周囲の環境の香りを纏って帰ってくることが多いらしい。彼女に言わせれば、12月の僕からはコンビニのおでんの香りがするそうだ。

今気付いたことだが、「匂い」という言葉を当てがうよりも「香り」としたほうが、どこか人の優しさに満ちた感じがして素敵だ。僕は生まれつき鼻が弱く、嗅覚に優れないところがあるので、香りについての情報を美しく伝える人に対して、どうにもならない憧れがある。

僕はタバコを吸わない。禁欲以前に、一度も吸ったことがない。理由はよくわからないし、信念なんて大層な言葉を使えるほど固まった意思の下での決定を経たわけではない。何か参考になる気がして、20歳になった日の僕の日記を読んだところ、「何かにそんな風に縛られるのって好きじゃないんだよ」と偉そうに書き記していた。そうか、あの小説を読んだのも、たしか9月のことだ。そういうことなのかもしれない。

 

ピースを吸っていたのは高田だ。

その日の高田は、就職活動の一環で参加する予定だった説明会が中止になったと言って、僕を吉祥寺のヨドバシカメラに誘った。高田は家電量販店で散歩をするのが好きな男だ。冷静になって振り返ると変わった趣味だが、僕は高校1年の頃から彼とヨドバシカメラの散歩をしてきていたので、最近までこの違和感に気付かなかった。家電量販店を歩いていると、思いもよらぬ過去を自分の中に見つけることがある。そうして泉のように湧き出てくる思い出を高田と語っている時間は、結構僕にとって楽しいものであった。

 

夜はハーモニカ横丁で焼き鳥を食べた。高校の同級生である高田は、1年間の浪人生活を経て大学に通っていたので、僕ら同い年たちから様々な就職活動の情報を得ていた。とはいえ今日は相手が「先輩」として何の参考にもならない僕であったから、硬い話はやめようということにして、僕らは少年野球の話をした。僕も高田も、かつて無我夢中に白球を追いかけていた時期があったのだ。

 

どういうわけか僕と親しい距離にいる男たちは、少しの例外を除いて、押し並べて喫煙者だった。そして、その中も外も少なくない割合が浪人、留年、中退のいずれかの経験者に該当した。彼らと喫煙所で話していると、ときどき、僕がタバコを吸わず、大学をストレートで卒業しようとしているという事実を全然信じられなくなる。彼らと僕らは何も違っちゃいないのだ。僕がよく付き添った大学内の喫煙所は、4月にまた一つ姿を消す。彼らがこれからどんどん生きづらくなると思うと、他人事とは言い切れないものを感じた。

これから、「時代が変わった」だなんて老けた台詞の出番が少しずつだが増えていき、僕は皆と平等に歳をとっていくんだ。

水を、汲み続けないといけないね。

ブルー・スカイ

人の夢の話を聞くのが趣味だった。

M-1グランプリで優勝したい。週刊少年ジャンプで連載を持ちたい。メジャーリーグサイ・ヤング賞を獲りたい。研究医になって、祖母と同じ病気で苦しんでいる人々を救いたい…その手の話に興味がないわけではなかったが、やはり人々の昨日見た夢の話を聞いている時間のほうが、その頃の僕にとっては楽しかったのだ。

重力があるのかないのかわからない部屋で、タンポポの種のようにゆっくりと落ち続ける夢。借金取りのボブ・ディランに夜通し追いかけ回される夢。かくれんぼをしていたら、駐車場の隅で親友のセックスを目撃してしまった夢。湘南の海にコンソメ味のポテト・チップスを流したら、日本列島が沈んだ夢。土星人とのハーフからドイツ語を習う夢。そういう夢の話が好きだった。

 

今朝僕が見たのは、飛行機の夢だ。

全世界同時中継されたウォータースライダーの世界大会で大恥を晒した後、僕は飛行場の倉庫に忍び込んだ。機長に伝えなければならないことがあったのだ。アラン・トレーシーがサンダーバード3号に乗って5号の中で待機するジョン・トレーシーと交代する日のように、僕は連結部から手前の飛行機に滑り込んだ。そこでは僕の大学時代の指導教官が、多数の実務家を招いてシンポジウムを開いていた。

「愛沢くんは、誤想防衛の論点についてどういう見解でいるの?」

「僕は、西田先生と同じ違法責任減少説に立って論文を書いています」

「大家の先生の説をとって安心しようとするそんな態度を見てると、やはり君には公務員の方が向いている気がするよ。僕も違法責任減少だと思うけどね」

 

機長に何を伝えに来たのか、忘れてしまった。

多分大事な話だったのだ。

 

不意に僕は目の前の3つの踏切に意識を向けた。

僕らは街の八百屋から果物を盗んで、それを駅のホームまで運ばなければならなかった。いいペースで店から逃げ出した僕らは、踏切で足止めを食らいたくなかったので、鳴り響く音を無視してひとつずつ踏切を駆け抜けた。

なぜか線路には夥しい数の車が、100キロ近くの速度を出して走っていた。僕らはタイミングをはかって、その車たちの間を走り抜けていった。なぜ轢かれなかったのかわからないほど、たくさんの車が走っていた。

3つ目の踏切の前で行き交う車の間を通り抜けるタイミングをはかっている間、ちらりと僕の脳裏に、ほんのかすかなひとつの疑問が浮かんだ。

「俺は誰と踏切を渡っているんだ?」

最後の踏切を渡り終えると、目の前にゴールテープが引かれていたので、僕は夢中でその前を駆け、テープを切った。はるか遠くから、昔よく聴いていたKEIの曲が聴こえた。

ふと視界に入った仏壇に、さっきまで僕と一緒に踏切を渡っていたやつの写真が立てかけてあった。

あれは、一体誰だったんだろう。

春眠が暁を覚えてくれない

ここ数日昼間に目覚めてばかりだったので、ふと、朝日が見たいと思った。強引に体内時計を修正しにかかる。5時に目覚めた僕は、外で降っている雨の音に気付いた。

朝日はまた明日にお預けである。

性根が引きこもりの私にとって、今日の世情は私の出不精に拍車をかけるものであった。

特に出かける理由もないのだ。

私は周囲の視線とか世間体に頼ってなんとか生きながらえているつまらない人間であるから、カフェやらファミレスやらに足を運んで初めて作業が捗るタイプである。そんな私がもう5日も家から一歩も外に出ていないのだから、いろんな作業が停滞していた。

基本的に私の日常は私が一人で時が過ぎるのを待つことで進行していくものであるから、実生活上の予定には何ら影響がなかった。

目前の問題は私自身にのみ降りかかる問題であるから、先送りにしようと思えばいくらでも先送りが可能になる。その点こそが問題だった。

 

 

私がこの作品に出会ったのは8年前だったと記憶している。中学2年生の秋か冬。親友が誤って13巻を2冊買ってしまったので、彼の家に行った時余った1冊を分けてもらったことが全ての始まりだった。

14歳、非常にややこしい時期の私は、女性キャラクターばかりで物語が進行するこの作品を手に取ることにいささか羞恥心があった。案の定読んでいることがクラス内で発覚した日以降は、私をこちら側に引き摺り込んだ親友さえ私のことをからかうほどだった。

ただ、世間体という指針が既に刻み込まれていた当時の私をもってしても、「ハヤテのごとく!」を読み進めることだけはやめられなかった。少ない小遣いを握りしめ、自転車で行ける範囲のBOOKOFFを回って、既に30巻以上出ていた単行本を少しずつ買い集めた。初めて感じる種類の胸の高鳴りを、止めることができなかった。

好き放題展開されるパロディとインターネット黎明期の空気感、世界名作劇場からのインスパイアの数々は、私にとってこの上ないサブカルチャーの教科書になった。理不尽と悲しいすれ違いが連続する、愛と流血の執事コメディー。

いろんな言葉をここで覚えたし、偉大な作品の数々を私に教えてくれた先生だ。本来足を向けて寝られないのに、今私は呑気に本棚に足を向けて寝ている。

今日こそは外出しよう。

 

「生きようとする意志は何よりも強いとどこかの流浪人も言ってたけど、なかなか…ね」

the end of the world

カラオケルームで性行為に及ぶカップルを3週に1回ほどのペースで目撃していた。僕が20歳の頃のことだ。部屋に監視カメラが設置してあるわけではない、ただ廊下を歩いていると、扉の前を通るだけで部屋の中がある程度見えてしまうのである。

硬くて安っぽいソファーの上で身体を重ねる客たち。

学生店員たちはその様子を面白がって、他の部屋にドリンクを提供する際に、用もないのにその部屋の前を通って、順番に中を覗き見にいった。中の様子を無線で実況し、他のフロアの店員に状況を逐一共有するのも日常茶飯事だった。業務連絡の際には、僕らは彼らのことを"ピンク"とか"ピンク部屋"と呼んだ。週刊誌の記者がゴシップ記事のネタを調達するには、実はカラオケ店でアルバイトするのが一番効率の良い方法なのではないかとさえ思う。

当然ながらカラオケルーム内で行為に及ぶことはご遠慮頂いている。我々は、彼らに行為をやめさせようと、あえて部屋の前でトレイを大袈裟に音を立てて落としてみたり、用もないのにドアをノックをして、さも部屋を間違えた客かのように装って慌てて立ち去ってみたり、部屋にインターホンをかけてすぐに切ったりした。部屋の外からカラオケ機器に繋がる端末を操作し、中のムードを破壊するような曲を流すこともやろうと思えばできたが、どんな曲を選ぶかの大喜利で盛り上がるのみで、実行に移した店員は今のところいないようだ。

 

部屋の中には、抱き合って長時間舌を絡めている者もいるし、女性の上に乗って腰を振っている者もいる。

僕が不思議に思ったのは、彼らはそれなりに身なりの整った、立派な大人であることが多かったという点だ。まともな環境でセックスをしようと願うのなら、彼らには金が十分にあるのだ。

彼らは、他に行くところがなかったのだろうか。

見られている方が興奮するのかもしれない。

コートを扉の前に掛けて室内を隠す者もいる。

その冷静さを持ちながら、こんな狭い部屋で行為に挑むのもなんというか不思議な話である。

制限された環境の方が興奮するのかもしれない。

 

 

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廊下を歩いていると、使い古された2年前のヒット曲のイントロが、いろんな部屋から聴こえてくる。至っていつも通りの夕方だ。

客が帰ると、僕らは速やかに部屋を掃除して、次の客の来店に備えた。何千回とこなした作業だ。

そこにはなんの感情も入り込む余地がないし、特別なことは何一つない。全てが洗練された作業だった。アルコールを用いて迅速にテーブルの上のグラス跡を拭き取り、床に落ちたゴミを拾う。マイクの音の入りを確認する。フロントに清掃完了の無線を飛ばし、部屋を出る。拾ったゴミを廊下で広げた。くしゃくしゃにされた婚姻届だった。

彼らは、他に行くところがなかったのだろうか。

…もしかしたら、これから向かう場所を見つけられたのかもしれない。

 

僕はどこに行くのだろう?