ムラサキノヤカタ

徹頭徹尾ひとりごと

月明かりの下に花束

24歳になった。マザー・テレサ星新一がこの世を去った1997年に僕は生まれた。要はこの地球にとってはもちろん、人類の歴史にとっても、わりに最近ということだ。

変わって行く世界と変わらない仲間たち、それぞれに敬意を払うことを忘れないでいたい。

 

高架下でのキャッチボール、朝刊の配達まで続いた長電話、始発の山手線での別れの言葉。そういった美しい時間たちに報いることができるように。ゆっくりでいいから、水を汲み続けよう。

愛すべき落書きたちはいずれ希望に変わる。僕たちはどこにだって行ける。

その頃にはきっと、自分の言葉で君のことを語ることができるはずだ。

ポカリスエットの味

 最初に発熱をジェットコースターに喩えたのは誰だったのだろう。今ではすっかりありふれた表現になってしまったし、そのせいでなんだか涼宮ハルヒの書き出しみたいにも思える。でもきっとその発明の瞬間には、新鮮な響きを持っていたはずだ。

 きっと織田信長だろう。プリンでも天ぷらでも金平糖でも、先駆者と言ったら織田信長だと相場が決まっている。柔軟に新しい文化を受け入れる織田信長なら、ぎりぎりジェットコースターに乗った経験があったとしても不思議ではない。家臣たちに連れられて、ジェットコースターの始祖に乗り込む信長。始祖は多分亀みたいに遅い。彼はアトラクションという概念を理解できたのだろうか。おそらくできたのだろう。その順応は、トロント・ブルージェイズに加入した川﨑宗則がチームに溶け込むまでの時間より早い。並の人間はそれを真似ることができない。

発熱の話だ。

 真夏に発熱をすると、寒い。真夜中、僕の部屋には限定的な雹が降る。冬用の布団に包まれた僕は、全身の関節痛と頭痛に耐えながら、方程式の夢を見た。

「何度も言ったじゃないか。君はいつも問題文を曲解する。一番初めの代入から、根本的に間違っているんだ」

風鈴

「人の血が通っているかどうかが重要だ、と君は言っていたよね。僕は君の言っていることがよくわからない。人間だろうがコンピューターだろうが、何を考えているかさっぱりわからないのは一緒じゃないか。程度の問題だ」

 

僕はユウキにゆっくりと語りかけながら、病室から窓の外を眺めていた。気持ち悪いくらいの快晴だ。エアコンがなければ、この部屋もじきにサウナと大して変わらなくなる。日が出ている間にここを後にしなければならないことを思うと憂鬱だった。もうしばらくこの部屋にとどまっていたい。

 

今日のユウキはほとんど口を利かなかったし、全然僕の方を見ようとしなかった。窓の方を向いたまま、起きているのかさえよくわからなかった。僕はその姿を見て、「魔法少女まどか☆マギカ」の上条恭介の姿を思い出していた。何となく気分が沈みそうになったので、本来はユウキが食べるはずであったリンゴを無心で齧った。

 

「この夏休みが終わっても退院の見通しがつかなかったら、高校をやめようと思うんだ」

ユウキがやっと口を開いた。ここに来てからはじめて、後ろ向きなことを僕の前で喋った。しばらく何を返していいのかわからなかった。

「きっと君はずっと遠く、私が追い付けないくらい遠くまで行ってしまう」

ユウキはときどき、誰よりも鋭い目をして僕を見つめる。

「そんなことはないよ。ずっとここにいる」

はじめてユウキに嘘をついた。僕はリンゴを齧るペースを速めた。

「君もうすうす気づいているはずだ。君は上の世界でやっていけるだけの力がある。少なくともその才能を評価してくれている人が何人もいる」

ユウキは何にも考えていないように見えて、同い年の誰よりも先を見通しているような話し方をするときがあった。未来から来た人間なんじゃないかと疑ってしまうほど。

 

それでも僕は、ユウキを諦めたくなかった。少なくともその点について、僕が嘘をついたことはなかった。そう、その時点ではそれは嘘偽りない、僕の本心だった。

 

 

あの坂を越えて 私になれたらいいなんて

 少しずつ陽の当たる時間が長くなってきているような気がする。午後4時の早稲田駅の周囲は、今し方入学試験を受けてきたばかりの受験生の群れが、秩序立った列を形成していた。見る人によっては例年と何かが違うように見えそうな、その異様な光景の一部を構成していた高橋は、前を歩く学ランを着た男のベージュのマフラーから飛び出している糸が揺れている様をぼんやりと眺めながら、「やっぱりいつもと同じじゃないか」と呟いていた。2月はあの頃と何も変わらないし、どこへも行かない。何故だかやけに遠くまで見通せてしまうこの季節のことを、高橋は好きにも嫌いにもなれなかった。彼が2月のことを好きだろうが嫌いだろうが、2月は他の月より短い。自分の気持ちが整理される前に何もかもが過ぎ去ってしまうから、好きとか嫌いとか結論付ける余裕がないのかもしれないな、などと考えながら、彼は地下鉄の駅へ下る階段に吸い込まれていくその列を抜け出した。

 帰り道の遠回りが高橋は好きだった。遠回りといっても、その日の高橋が歩いていたのは早稲田駅から高田馬場駅までの20分程度の道のりにすぎなかったが…とはいえ家に帰る他に目的のない夕方は、しばしば彼を目的のない歩行へと導いた。すこぶる天気が良かった。

その日は2日連続で務めた単発のアルバイトの帰り道だった。同じ会場を担当した2人の学生は、この手のアルバイト経験が豊富だったようで、仕事は極めて円滑に進んだ。気分が良い。たまには、長時間虚空を見つめるだけの時間も悪くない。そういう時間が確保できない人生はきっと健全じゃない。久しぶりの立ち仕事だったので、高橋の脚に溜まった疲労は、彼の現実的な思考能力をいささか鈍らせていた。彼はイヤホンを両耳につけ、ポッドキャストで先週のラジオを聴き始める。パーソナリティーを務めるミュージシャンは、高田馬場駅周辺のラーメン店についての思い出話に触れ、鼻息を荒くしていた。

 ふと、早稲田通りを歩き続けていた高橋の目に本棚が目に留まった。店頭にセール品の文庫本を無作為に並べているタイプの、小さな古本屋だった。彼はその時初めて、学生街には様々な機能が同居しているということを悟った。その界隈は高田馬場駅に近付くにつれて雀荘と酒場が増えて視覚的にも騒がしくなっていく。しかし高橋が歩いていたその地点は、古本屋や小さなカフェで構成された静謐な街並みを保っていた。同じ道を歩いていた昨日は気付けなかった街並みに見惚れて、彼はその場で足を止め、店頭に並ぶ本棚に並ぶ書籍の背表紙を眺めた。ひょっとしたら本来そこら中に転がっていた様々なチャンスが、人々の人生から奪われつつあるのかもしれないな、と彼は思った。

 いわゆる「4人組」の『憲法Ⅰ』『憲法Ⅱ』の最新版がセットで800円で売っていたので、あまり迷うことなく購入した。せっかくだから、と思った彼はもう一軒古本屋に寄り、光文社古典新訳文庫版の『カラマーゾフの兄弟』を全巻セットで買った。高橋の足取りはさっきより軽くなっていた。

イギリスと君の時差

世界は一周した。

僕は一周目の世界において失ってきたものの数を数えようと試みたが、何一つ思い出せなかった。思い出しても確証が持てないのだ。二周目の世界には、似たものが多すぎる。それらを僕は一周目の世界で見たような気もするし、見なかったような気もする。ひょっとしたら何度も手に取って触れていたかもしれない。

一周目の世界にける自分の喪失を、僕はどうしても思い出したかった。何のためにそうするのかはわからない。直感的にそうせざるを得なかった。でも、何度試してみても、結果は同じだった。甦るのは、昨日の朝食べたトーストの暖かさと、縁側に座って外を眺める老人の姿だけ。二周目の世界の僕には、そこに座っている老人が誰なのか、心当たりらしいものが何一つなかった。

二周目の世界は、明らかに僕を特定の「どこか」に連れていきたがっていた。きっとそれはそんなに悪いところではないのだろう。悪いところに連れていかれるわけではない、それはわかっているのだが、どうしても一抹の不安が憑いて回った。

僕は戸棚の青白い扉を開け、すっかり色が落ちて何が書いてあったかわからないケースから、レコードを取り出した。チャイコフスキーの第5番。確かに誰かに教わったはずの、今となっては誰に教わったかわからない、交響曲の旋律に耳を傾ける。ホルンの音が美しく響く音源だった。一つ思い出したのは、一周目の世界の僕は、どうやらロシアに行ったことはないらしい、ということだった。やけに自信をもって甦った記憶だった。この世界でよみがえった一周目の記憶の数々は、僕に何らの感傷も与えない、できすぎた記憶たちだけだった。それらに触れたとき、僕は喜びを感じることもなく、反対に激しく揺さぶられるような苦しみを覚えることもなかった。

ひょっとしたら僕は、本当のところは、何一つ思い出したくなんかないのかもしれない。きっと何もかも忘れたこの二周目の世界で、好きなように暮らしたかっただけなのだ。それならなぜ、何度も何度も同じことを試すのだろう。思い出せないとわかっている記憶を自分の中から汲み取る作業は、費用対効果という点から観察すると最悪だった。大量の汗が滲み出てきて、酷いときは蕁麻疹まで出てくる。そうやって苦しみながら眠りについた夜には、決まって夢の中でたくさんの人が死んだ。

彼らが本当に生きているのか、僕にはだんだんわからなくなってきた。

 

 

半年前の自分に聞きたいことが山ほどある

新しいものが必要だった。画期的なもの。天地をひっくり返す概念。

世界の解像度を変化させる、もうひとつの視点。

生き急いでいた故に文字通り教師に刃を向けていたクラスメイトたちを横目に見るたび、僕は思った。「何をそんなに焦っているんだ」

 

 

 

ずっと下書きに眠っていたこの文章を、さっき(2021.1.7/23:55)発見した。このまま消してしまうのももったいないけれど、かといって書き始めた時と変わらぬ熱量で文章を続ける自信がなかったので、このまま公開する。2020年はいろんな自分を発見できた1年だった。まだ2021年が始まったことに対する感想を抱けていないけれど、まあなるようになるでしょう。人に優しくありたい。

そういえばまだ蝉の声を聴いていない

記憶について考えていた。30年後、きっと僕は昨日のことを思い出すだろう。いや、思い出さなければならない。もう昨日になってしまったこの1日のこと。

 

 

早朝に雨が降り、昼を過ぎた頃にもぱらぱらとした小雨がアスファルトを濡らしていた。

その日僕は深夜からぶっ続けで締切当日のレポートを2つ、ギリギリの状態で処理した。あまりにも長い夜だった。日付が変わってから仕事から帰ってきた弟と父の生活音を聞くところから始まり、朝食を食べる両親の起床を完全に無視して2時間の仮眠につくまで、何度も何度も同じ場所を堂々巡りするような夜だった。

僕はパスピエの「(dis)communication」をリピート再生しながら、目の前の要件事実論と2015年司法試験の行政法を同時に進めた。2015年。何かが確実に終わった年で、同時に何かが始まった年。

世界が2周くらい回って、3度目のノアの方舟が出航していたとしても驚かないくらいの時間を感じたのち、僕は10度目くらいのアラームで仮眠から目覚めた。出発まで、残った設問を仕上げにかかる。ここまで進めてしまえば、あとは椅子に座り続けていさえすれば完了する作業だ。座り続けることができればの話だが。

その日は東京都知事選挙の前日だった。家族4人で昼食を食べた。東京の各家庭は、どんな話をして昼食の時間を過ごしていただろう。我が家での話題に限っていえば、政治的な要素は日々ほんの少しずつあがる程度であった。家族であっても目の前の対人関係においては無理をしない方がいい。

母はロッテの先発の種市より、対戦相手の楽天の先発岸のことを気にしていたので、その日のデーゲームを録画していた。夜になって母は試合のネタバレをするなと僕らに念押ししていたが、それがなんだか馬鹿馬鹿しくて笑ってしまった。種市は浅村と島内に打たれて負けた。

14時53分。なんとかどちらの課題も完成させて担当教員に送信した僕は、靴下を履く。今の僕は靴下だって一人で履くことができる。ああ、僕を取り巻く何もかもに留保がつく。帝国憲法の29条みたいだ。

 

さっきまで雨が降っていたのに、16時が近づくとピタリと雨が止んだ。それは僕らにとって純粋に喜ばしいことであった。気象にもお約束が通じる時と、そうでない時があるが、幸運なことにその日は前者だった。

人はどうやって、その目に映った人の姿と自分の中に残った記憶をつなぎ合わせているのだろう。思っていたより世界は単純にできていないし、説明できないメカニズムばかりで溢れている。つくづく不親切なものだな、と僕は思った。

僕の目を見て頷いたあの日の彼は、今夜しっかりと眠れているだろうか。僕らは寿司とバームクーヘンを食べて、その日のことを振り返りながら解散したが、なんとなくそれぞれが違うことを考えていたように思う。父が少し明るい声を出していたことを、多分僕はこれからの人生で、何度も何度も思い出すことになるのだろう。

 

…声か。

そういえばまだ蝉の声を聴いていない。

2度目の夏のある日が、今日も一つ終わった。